それは、もしかしたら人間にとって究極の選択かもしれない。
平和を望むのは、人類全ての望みかもしれない。
しかし、そのために自分の『自由』と『未来』を放棄し、管理された社会を作る。
議長のしようとしていることは、そういう世界なのかもしれない。
『自由』も『望む未来』もない管理された社会というのは、過去いろんな作品で描かれてます。
アニメでも『地球へ』や『火の鳥愛のコスモゾーン』など
そして、いろんな外国の映画でも
自由もなく、望む未来も許されない世界。
そこでは、人はただ生命として存在し、生命として生きてればよい。
では、本当の意味で『生きる』ということは?
議長が望むことは、そして、シンが望んだ未来というのはそんな世界だったのだろうか?
最終回のシンが怖いです。
ディスティニプランについてちょっとだけ

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