記憶石に誓って

 
「ごきげんいかがぁ〜、アンジェリナ」
そうして、突然の来訪者は笑顔でやってきた。
「お、おねえさま。突然、どうしたのですか」
「そりゃあ、当然、こっちに来る予定が出来たからに決まってますわ」
「予定って…」
また、だんな様と何かあったから、気晴らしにってとこじゃないかしら。
とアンジェリナは、心の中で突っ込む。
「なんですの?」
「い、いえ…」
「だんな様と何かあって気分転換に顔を見に来たって思ってるでしょ」
「なっ」
がばっ
「もう、アンジェリナったらわかりやすくてかわいいですわ」
マリオンは、アンジェリナを思いっきりハグする。
「や、やめてください。誰かに見られた」
「えぇ〜、別に誰に見られてもいいじゃない」
「いえ、困ります」
「わたしは、困らないわ」
アンジェリナは、マリオンのハグから必死で逃れようともがく。
もうすぐ、買い物に出ているベルが帰ってくる。
こんなとこをベルに見られたらと思うと気が気ではない。
「ん?もしかして、好きな人でも出来たの?」
「えっ」
「でも、アンジェリナが付き合ってるっていう噂は聞かないし」
「へ?」
「アンジェリナが、わたしに内緒で好きな人を作るなんてことはないですわよね」
「な、なんであたしがおねえさまに報告しないといけないんですかっ」
「えぇ〜。じゃあ、わたしに内緒で好きな人つくっちゃったの?」
「あ」
アンジェリナは、うれしそうなマリオンの抗議で自分に失言に気づいてしまった。
「で、相手は誰?」
「あ、相手なんていません」
「嘘ですわ。わたくしに隠し事するの?アンジェリナ」
妙なところで、感のいいマリオンに隠し通せるわけがないことは承知していた。
でも、自分が好きになったことで、ベルを好奇の目に晒して傷つけたくない。
だから、これは二人だけの秘密にしないといけないと、アンジェリナは思っていた。
それが、例え信頼するマリオンであっても。
「わたしのアンジェリナの心を盗んだ相手ぐらい、わたしには知る権利があると思うけど?」
「どうして、おねえさまに知る権利があるんですか」
「そりゃあ、わたしがあなたの後見人アインだから♪」
「それは、劇の上でのことです」
「じゃあ、あなたの初恋の相手がわたしだからかな?」
マリオンは、首を可愛く傾げながらさらっという。
ボンっ
アンジェリナの顔が、一瞬のうちに真っ赤になる。
「ど、ど、ど」
「あなたの態度見てたらわかっていたわよ」
「でも…」
アンジェリナの胸に、初恋の苦い思いで蘇る。
告白できずに、片思いで終わった初恋。
『わたしの人形石は、初めての人を忘れません』
そう言ったベルの言葉が、頭の中に蘇る。
今、自分が好きなのはベルなのに、あたしの心は初めて好きになったおねえさまのことが忘れられないの?
マリオンを忘れられない自分の心が、まるでベルへの罪悪感のように感じた。
「ごめんね、アンジェリナ。そんな顔しないで…」
そういうとマリオンは、突然、アンジェリナの唇に自分の唇を重ねる。
カチャ
同時に、突然、部屋のドアが開く。
そして、何かが床に落ちる音がした。
「ぁ…」
そして、息を呑むような小さな悲鳴があがる。
「べ、ベルっ」
「ご、ごめんなさい」
「待って、ベル」
二人の姿を見たベルが、突然、飛び出した。
「おねえさま、ごめんなさい。すぐ、戻ります」
それだけ言うと、アンジェリナはベルを追って部屋を飛び出した。



空は、まるで今のベルの心のように、今にも泣き出しそうだった。
雨が降る前に連れ戻さないと。
「ベルっ」
アンジェリナは、大切な人形の名を呼びながら駆け出した。
「ベルっ、どこにいるの?ベルっ」
何度も何度も彼女の名を呼ぶ。
しかし、その声は虚しく響くだけで、ベルの返事はない。
「ベル…、どこに…」
不可抗力とはいえ、マリオンにキスされてしまった自分を見て、きっとベルは傷ついた。
大切なベルを傷つけてしまった。
空よりも先に自分が泣いてしまいそうだった。
だが、今は泣けない。
自分よりも哀しい想いをしているに違いないベルを、早く見つけないといけない。
見つけて、安心させてあげたい。
でも、どうやって…
どうやって安心させてあげればいいのだろう。
アンジェリナの足は、自然と止まってしまった。
マリオンとのことを誤解してるベルに、いくら説明してもそれは単なる言い訳にしかならない。
今、この時に愛しているのはベルに変わりはない。
マリオンは、憧れ、尊敬している人で、でも、初恋の人で、昔、アンジェリナは確かに彼女に恋をしていた。
ベルに嘘はつきたくない。
だけど、ベルを傷つけるのはもっと嫌だ。
「ベル…、お願い…」
ポタ、ポタ…
アンジェリナの頬に冷たい雫が落ちる。
そして、アンジェリナの瞳からも涙の雫が零れおちた。
「ベル…」
その呟きに重なるように、自分の名を呼ぶ声が重なる。
「アンジェリナ…」
その声のするほうへ、アンジェリナはあわてて振り向く。
「ベルっ」
「アンジェリナ…」
「ベル、よかった」
「……」
アンジェリナは、思わずベルを抱きしめる。
「アンジェリナ、あの…」
「……」
「ごめんなさい…」
「なんで?」
「え?」
「なんで、ベルが謝るの?」
「アンジェリナに心配かけたから」
ベルは、そっとアンジェリナの頬に触れる。
まるで流した涙の後がついているかのように。
振り向く前にちゃんと拭いたし、雨でわからないと思っていた。
「でも、それは、あたしがベルに」
「アンジェリナ…、いいんです」
「でもっ」
「アンジェリナは、わたしを追いかけてきてくれました。だから、それだけで」
「だめよっ」
「……」
「あたしは、ベルに嘘をつきたくないし、隠し事もしたくないの。だから、聞いて、ベル」
ベルの身体が、微かに震える。
「大丈夫よ」
「アンジェリナ…」
「今、あたしが好きなのは、ベルだから」
「はい…」
「でもね、昔、マリオンのことも好きだったの」
「え…」
「あたしの初めて好きになった人は、おねえさま、マリオンなの」
「アンジェリナの…初めて」
人形にとって、初めて好きになった人は運命のようなもの。
人にとっても同じなのだろうか?
ベルにとって、アンジェリナは自分が初めて好きになったとても大切な人。
でも、アンジェリナの初めては、自分ではなくあのキスしていたマリオン。
マリオンにアンジェリナを取られたくない。
ベルは、初めて嫉妬という感情を知ったような気がした。
「だけど、あたしはおねえさまに告白できなかった。好きって言う前におねえさまは、ファビオと結婚してしまって。だから、片思いで終わってしまった恋なの」
「でも、それじゃあ…」
あのキスは?ベルは、何故マリオンとアンジェリナがキスしていたのかわからなかった。
「アンジェリナは、今でもマリオンさんのことを好き…」
「違うわっ」
「でも…」
「おねえさまのことは、尊敬しているし、憧れてる。でも、今はそれだけよ」
「だったら、どうしてキスしていたんですか?」
「あれは、おねえさまの嫌がらせで…」
「嫌がらせ?」
「そう。あたしが好きな人のことを素直に話さなかったから」
「……ですよね」
「えっ…」
「わたしのことは、話せないですよ…ね」
「何を…」
ベルのその言葉の意味に、アンジェリナは言葉を失いそうになった。
「人形のわたしとつきあってるなんて、人には言えないですよね」
「何を言ってるの」
「でも、話せないって」
「話せないのは、あなたとのことが恥ずかしいんじゃない」
「アンジェリナ…」
アンジェリナの語気が、突然強まる。
「ベルとのことが好きな気持ちは、誰にだって言えるわ。今、この場で叫んでもいい」
「……」
「でも、あたしとつきあってるせいで、あたしのせいで、ベルが中傷されて、傷つけられるんじゃないかと思うと怖くて」
「アンジェリナ…」
「だから、だから…」
「ありがとうございます」
ベルは、優しくアンジェリナを抱きしめていた。
アンジェリナの不器用な優しさがわかる。
「ベル…」
ふたりは、自然に唇を重ねていた。



「おかえりなさい」
部屋に戻ると少し不機嫌なマリオンがじっとアンジェリナを見つめる。
「た、ただいま」
「お客様を放っておいて、何をされてましたの?」
「ご、ごめんなさい、おねえさま」
「それで?」
「えっと…」
「きちんと話してくださいませんの?」
「……」
「アンジェリナのわたしへの信頼って、その程度だったの?淋しいわ」
マリオンは、よよっといかにも芝居がかった態度をつくる。
「そんなことは…」
「だったら、あなたの口でちゃんと言って、アンジェリナ」
「おねえさま…」
マリオンは、すべて知っている。
アンジェリナは、そう思った。
すべてを知った上で、アンジェリナの口からそれを聞きたいと言っている。
だとしたら、おねえさまの信頼を裏切らないためにも、素直に言わないといけないと思った。
そして、ベルのためにも…
「おねえさま、あたし、ベルとつきあってます。そして、ベルのことを誰よりも愛しています」
「わたしよりも?」
「は、はい…」
「あらら、残念。わたし、シェスタに負けちゃったのね」
「ごめんなさい、おねえさま、でも…」
「冗談よ、アンジェリナ」」
「はい…」
「それに、シェスタに負けたことが残念なんじゃなくて、これが普通の人間だとしても同じように残念なのよ」
「おねえさま…」
「だって、大切なあなたをわたしから奪っていくんですもの」
「でも、おねえさまにはファビオが…」
「う〜んとね、ファビオはファビオ。あなたは、あなたとして大切なの」
マリオンは、ゆっくりとベルに向き直ると
「シェスタ、わたしの大切なアンジェリナを幸せにしてあげてね」
「それから…」
今度は、アンジェリナの方へ向き直る。
「アンジェリナ、ベルと共に生きるのね」
それは、あの舞台のセリフそのままのような言葉だった。
「はい」
マリオンの問いに、アンジェリナはしっかりとした返事をする。
迷いのないアンジェリナの返事に、マリオンは優しい笑みを向ける。
そして、ベルの方を向くと彼女に頭を下げた。
「シェスタ、さっきはごめんなさいね。あなたの大切なアンジェリナに悪戯して」
「いいえ…」
「許してもらえるかしら」
「ゆ、許すも何も…、わたしにはそんな権利が」
「あるのよ。アンジェリナが、あなたを選んだ時に、あなたにはアンジェリナの大切なパートナーなったんですから」
「おねえさま…」
「マリオンさん…」
「よかったですわね、アンジェリナ。仲直りできて」
「はい」
元々の元凶は、マリオンだけど。
でも、マリオンはきっと、アンジェリナにベルと向き合って共に歩くということを教えたかったに違いない。
そのために、まずはマリオンへのカムアウトをしやすいようにしてくれたような気がする。
「それじゃあ、わたしはそろそろ…」
「えっ、夕食ぐらいは一緒に」
アンジェリナがそういうと、マリオンはアンジェリナとベルの顔を交互に見ると。
「わたし、これ以上お邪魔虫になりたくないですもの」
「えっ」
「夕食の後は、二人でいいことするんでしょ?だから…」
口に手をあてて、むふふっな笑い方をする。
「なっ、お、おねえさま」
「マ、マリオンさんっ」
ベルは真っ赤になって俯き、アンジェリナも真っ赤になってマリオンに抗議する。
くいっ
そんなアンジェリナの手を掴むと、マリオンは彼女の身体を引き寄せる。
「お、おねえさま…」
「幸せにおなりなさい、アンジェリナ」
「はい」
「シエスタ、わたしの大切なアンジェリナを幸せにしてあげて」
「はい」
ベルは、マリオンに誓うように、確かな声でこたえる。
「じゃあ、わたしはこれで帰りますわ」
そういうと、マリオンは嵐のように去っていった。



「ベル…」
二人っきりになると、アンジェリナは真剣な目でベルを見つめた。
「アンジェリナ…」
「これからは、逃げない」
「はい」
「誰に聞かれても、わたしの大切なパートナーはベルだって、胸を張って答えるわ」
「アンジェリナ…」
「もし、それでベルを傷つけるような人がいたら、わたしが守るわ」
「はい」
「だから…」
アンジェリナは、そこで一瞬口を閉ざす。
けど、何かを決心したように、もう一度ベルを強い眼差しで見つめる。
「だから、わたしと結婚してください」
「えっ」
「わかってる。人間と人形が結婚できないということは。ううん、例えベルが人間でも女同士だから、無理だってことはわかってるの。けど…」
「はい」
「えっ」
「誓います…。生涯、アンジェリナの傍にいることを、誓います」
「ごめんなさい、まるで縛ったような真似。でも…」
「そんなことありません。わたし、幸せです」
「ベル…」
「アンジェリナが、それほどにわたしを求めてくれてるってことですから」
「ありがとう、ベル…」
わたしは、思いっきりベルの身体を抱きしめた。
失われた半身を取り込むように、境目もわからなくなるように溶け合うように。
強く強く、ベルを抱きしめた。
「わたしも誓うわ…。ベルを生涯愛することを誓います。」

そう、ベルの記憶石に誓って…

― fin ―


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